記憶の美化について

最近とりわけ、中の人が期待していたことがあった。

彼の中でも、とても衝撃的でキラキラしたものととらえているらしい。

30周年の記念にライブを行い新曲をリリースした、ロックバンド。

彼がそのバンドを知ったのは、1995年の夏だった。

彼の認識の中では

夏休みの平日午前10時半から当時アニメのタッチと仮面ライダーがやっていて

冴えない中2の夏休みは家でテレビを見て過ごすという、最悪の時間の消費の仕方をしていたようです。

ただ、不幸中の幸いにも、彼はそのおかげで、そのロックバンドを知ることができたのかもしれない。

広がる 彼方へ誘われてゆく このゆりかごに届く Uh vivid colors

歌詞は理解でできず、液晶に映る、美しい人が美しく歌い、一瞬が過ぎていった。

衝撃的だった。

そして、次の日にビデオに撮って15秒のスポットCMを何回も見ていた。

という記憶がある。

あれから、26年程度が経過した、その記憶と、その他の彼らについての記憶が中の人が期待する

理由である。

しかし、反面自分に望むような答えがあるのか不安を感じている。

たくさんのことを経験して、新しいことを経験することもなくなり、過去の輝かしいものをさらに

美化しているのではないかと思う。

どんなに彼らが、素晴らしい曲を出しても、あの時のような感動はおこらない、期待のし過ぎだし、

彼らからしたら、ほっとけ、勝手にしろって話だ。

もう今日、曲がリリースされている、中の人は一体何を思うのだろうか。

私も、かつてのように、馬に乗って中原を駆け回った、あの広大で美しい景色が、かすかな記憶

が、心から離れないのである。

間違えた、頭しかないから、頭から離れないでしたね。

まぁ生きていくうえで、そんな記憶もあってもいいのではないかと思いました。

では、さようなら

 

日常

Posted by burningsan